我来也/北海道の桜

現代中国語の「也」は「〜も」という意味の副詞で、主語と述語の間に置く。
古代中国語は「〜なり」と文末に置く。

スマホ青空文庫を読んでいるが、「中国怪奇小説集」11(宋代)に「我来也(がらいや)」という話がある。
文脈からみると、「俺が来たぞ」みたいな感じなので、宋の時にはまだ「〜也」だったのかなと。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2238_11901.html

私は特に古代中国語文法の専門家ではないけど、こうやってたどっていけば、そのうち「〜も」という用例がどっかで出てくるんだろうなあと思うと面白い。


中国語でいうと、この日付の朝日新聞夕刊の将棋欄で、「芈碰廷九段」の「芈」が読めなかった。
百度やwebioの白水社の辞典を調べるとmǐだって。

https://baike.baidu.com/item/%E8%8A%88%E5%A7%93/9313029?fromtitle=%E8%8A%88&fromid=19186856
http://cjjc.weblio.jp/content/%E8%8A%88

日本語読みでは何になるんだろうと小学館中日辞典を調べると、「び」あるいは「み」だそうだ。



●この日付の朝日新聞夕刊「都ものがたり 京都」に、北海道生まれの作家・渡辺淳一が、京都にあこがれるきっかけになった桜について書いてあった。

そのときのことを、記事はこのように記す。

美しさのためだけではない。長い冬のあとで梅も桜も一緒に咲く「季語のない」北海道と、「季語に恵まれ、その一つ一つを季節の移ろいとともに堪能できる」京都。同じ日本でありながら、「差別に似た苛立だしさ」さえ感じたという。

びっくりだった。私は長い冬のあとで梅も桜も一緒に咲く様子を、とても美しいものととらえていたからだ。
でも、「季語」という点からみると、いらだたしいことであったのか。

そういえば8月に北海道にいったときは、朝顔あじさいが一緒に咲いてた。
これもこれでユーモラス。ふだん巡り会わない花たちが寄り添って咲いている。

北海道は北海道の歳時記を作ればいいじゃない、と私は思ったのだった。
彼らは彼らなりの細やかな季節の移ろいを感じているはず。
特に、長い冬の間に、わずかな春の兆しをかぎ取るのは、
内地の人達より敏感かもしれない。