シェアと消化

この日付の朝日新聞朝刊より。年末も押し迫っている。

●いつも株価がずらっと並んでいる面に掲載されている社外筆者が執筆するコラム「経済気象台」。
ペンネームを冠して、いろんな分野の人がいろんなトピックを取りあげるので、いつもなんとなく目を通している。

この日のコラムは「世代超えた農家のつながり」。

・たまたま農家に生まれたから農業やってる。そうでなかったら消費者になってる。これは偶然の結果なのだから、農地は農家のものではなく、食べ物が作られている土地をシェアすればいい、という北海道の若手酪農家。

・国民のために食糧を生産する農地は私有財産ではなく共有財産、という考え方から、苦労して開拓した農地を国有化しようと言う20年前の北海道十勝地方の年配の農家。

この2つの意見は筆者「着」さんが出会った農家の人々の肉声で、「シェア」「国有地」農家の人が実感として感じている使命感が世代を越えて共有されていることにうれしくなったという内容。

なにか起こったら食料輸入をとめられるだけで一発アウトの日本。
軍事費を増やすより先にやることがあるのではないか。


福岡伸一動的平衡57:他の生物を「消化する」とは

「つまり消化の本質は情報の解体にある」という。
福岡氏の「もう牛を食べても安心か」かなんかで読んだ「消化」の実態はなんか空恐ろしくなった。
これはさらに「消化」の概念を変えるひとことだなあと思う。

さらに、コラーゲンを食べるとお肌つやつやという考えは、他人の髪を食べれば髪が増えると思うに等しい、というくだりも衝撃だった。

ただ、よく考えたら、そのことは頭のどこかでうっすら分かっていたかもしれない。
事実と違うとはっきりつきつけられた今、それでもあえて言いたい。
あれは脂ぎったものをむしょうに食べたい時の一種の口実になっていることを・・・。



●おまけ:初笑いにいかが、笑いと伝統融合のポチ袋(朝日デジタル)
http://www.asahi.com/articles/ASJDJ65WKJDJPPTB00K.html

→コレッポチ。ネーミングが良いよね。
綱吉は最近見直されているという記事を昔読んだことがあった。