『ぼくらはみんな生きている』 続刊?


いぜん、「ぼくらはみんな生きている」という本を書評かなんかで見かけて、
読んだことがあった。


よくドラマの設定などに出てくる「記憶喪失」、しかし実際にそうなった方が
具体的にどのような状態になるのか、ということがこの本で分かった。
それは、まったくドラマなどと異なる、まったく想像を絶する世界だった。



記憶とは、(脳の損傷の程度や箇所にもよるだろうが)たんなる生活上のエピソードだけではない、
暮らしていく上でのルール、生きていく上での生活習慣、それがすべて失われてしまうのだ。


そしてなによりも、生きていく上でのすべての運動器・感覚器が無事だとしても、
「自己同一性」、生まれてから今まで、自己を作っていた過程・手続きが失われたとき、
人間は、まるで生まれたばかりの赤子のように、無力で頼りない、よるべない存在になってしまうということが
とてつもなく恐ろしかった。


一方で、たとえば退院時に走る車の窓からみえる道路脇の白線が、
「しろいせんがのびちぢみしてる」みたいにみえたとか(本がもう手元にないから正確な表現を忘れたけど)
日常の当たり前と思っている出来事が、その赤子のようなまっさらな感性でつづられると
どのように感じられるのか、が(こういうことばをつかっていいのかわからないのだが)とても新鮮だったように
記憶している。


***


『ぼくらは…』はその彼が新しい自分をゼロから作り直していく過程で、仕事場を見つけ、
これから修行していくぞ、ってなとこで幕を閉じるのだが、その同じヒトが書いている本の広告を、
2011年3月6日付朝日新聞朝刊で見かけた。


記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)


これは、『ぼくらは…』の続編なのか、事故当時の模様から新たに本人が書き直したものか
わからないけど、彼のその後がどこかで気になっていたので、それがつづられているのなら
また読んでみたいと思った。