『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』読了


読了はこの日付(2010年12月15日)だが、この記事を書くのはもっと後日だ。
なので、すでに『SFが読みたい! 発表! ベストSF2010』も出ていて、この短編集についての言及もちらちら目にした。


やはり、表題作の評判が高いようで、確かにこれっておもしろかった。ただ、小説ならではの良さというのがあり、それは、主人公の成長にともなってうかがえる、彼の子どもらしさ、少年らしさ、そして優秀ながらユーモアとウイットに富んだ魅力的な人間性を好ましく読んでいるとき、ときどき彼の特異な外見を忘れて、一人のふつうの人間としてとらえていることがあるのだ。


とうぜん、その外見に惑わされる周囲の偏見や誤解に強く左右されながらも、それを気にせず、でも時には傷ついたり、一方でそれをたくましく利用すらしていく彼の人間的魅力がとても大きいのだけど、でも、映像として、いつもそれを見せられると、どうなんだろう、と思う。文字を追っているからこそ、自分がその外見を離れ、彼を彼としてとらえることができたのではないか、と。


いや、むしろ映像で外見をみせつけられたほうが、よりいっそう、それを乗り越えた感動も高まるのだろうか…。そのへんは私にもよく分からない。ふと、いま治療を受けている全盲の鍼マッサージの先生のことを思い出したりした。人を見た目で判断できない、いや、判断しない先生が、まわりの人々や出来事をとらえる「視点」の独特さに、私はいつも新鮮な驚きを禁じ得なかったからだ。



話がそれそうなのでもとに戻すと、しかしながら私が好きなのはなんといっても最初の短編「主任設計者」だった。事実のみを記すたんたんとした叙述に、最初こそなかなか話に入り込めなかったけど、次第に浮かび上がってくる「主任設計者」の裏方に徹する、プロフェッショナルな姿勢、その仕事ぶりに光があたらなくても、現場の人々はほんとうに彼のことを分かっていて、彼を尊敬し、愛し、慕っていたこと、その気持ちが、彼亡きあとの、人の生死にかかわるエピソードの中に切ないほど感じられて、思わず目頭が熱くなり、こみあげてくるものを抑えるのがやっとだった。


あとは「献身」の人間関係と、「月その六」の不条理さ(おもわず「ベントラーベントラー」のすみちゃんの行く末を思い出した。でも月その六の主人公よりすみちゃんのほうが明るくたくましい)などが印象に残った。


ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)



ベントラーベントラー(1) (アフタヌーンKC)

ベントラーベントラー(1) (アフタヌーンKC)


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あと、どうでもいいことだが、「電送連続体」にでてきた「ヒース・ロビンソン」という一語に、「ばかげたほど手のこんだ巧妙な仕掛けで単純なことを行なう装置」という語釈がついていて、それが気になったので調べてみると、こんなサイト↓もあった(リンクフリー)。ヒース・ロビンソンは漫画家だったらしい。


連想美術館
http://sol.oops.jp/illustration/robinson.shtml