『時の娘』読了


ジャック・フィニィ、ロバート・F・ヤング他著
ロマンティック時間SF傑作選『時の娘』読了。


読了…とはいいながら、読み終わった日付はあまり確かではない。
前の『ユダヤ警官同盟』と読了日が近いのは、
この本をたった数日で読み終えたのではなく、この本を
読んでいる途中でどっかやってしまい、先に『ユダヤ』を
読んでいたのだ。


そして、あとでみつかったこの本の残りの部分を
やっと読み終わった、ということである。


***


この短編集のなかで、いちばん印象に残ったのが
ウィルマー・H・シラス「かえりみれば」であった。
(題名は印象に残っていなかったので探すのに苦労した…)


いまの記憶をもって、過去にさかのぼれるなら…という願望は
いろんな形で作品となってきたと思うが、実際はこんなに辛いだろうな、と
いうことを想像させる話だった。


私は、過去にさかのぼりたいとは思わない。いまの自分もそうだが昔の自分は
もっとヤなやつだったと実感してるからだ。しかし、そういう高尚な?というか
人生とか感性がどうたら、ということじゃなくて、
もっともっと即物的かつ現実的な問題がある。


それは、若い頃の自分にもどれば、学校−−いや、もっと限定的にいえば
「授業」が一日の大半を占めるあのころの生活にいやおうなしに放り込まれるということだ。


主人公のミセス・トッキンは、冒頭のシーンでは優雅にお茶をしているが
30代のときのある朝、目が覚めたらいきなり15年前の高校生の頃に
ひきもどされていたのだ!


大人になってからの記憶や経験はもっている。高校時代の思い出ももちろん。
しかし、生活習慣からなにもかも、主婦である自分のそれとは変わってしまっている。


また15年前のあの頃に戻れるのか、これまでたどってきた人生を同じようにたどって
「現在」に戻ってくることができるのか、などと煩悶したりするが、
しかし、彼女はそんなこと?よりもっともっと重大な問題に直面するのだ。
15歳の人間は、朝起きたらまず学校に行かねばならないのだ!


そこから、スリリングな時間が怒濤のように彼女に襲いかかってくる。
ラテン語幾何学・化学……いったんは習ったこととはいえ、あのころの記憶は忘却の彼方…。
赤くなったり青くなったり、しどろもどろになったり。
読んでいる方も冷や汗をかきそうになってくる。


そう、学生時代って、あまずっぱいとか、あおくさいとか、そういうぼんやりとした
感情に包まれたものだけではない。そのディテールのほとんどは、
古文の助動詞の暗唱とか、数々の方程式とか公式とか、元素記号とか、
英単語とかいう、いま思えば膨大な量の雑多なものに埋め尽くされていたのだ。


そのほかにも、当時まだなされていない研究の話をうっかりしてしまって
大騒動を引き起こしてしまったりしながら、突然、引き戻されて
もとにもどるのだけど、しかし、表題の「ロマンチック」がぜんぜん感じられない
この話が、私にとって、いちばん「時」の流れというものを
自分にひきつけて具体的に感じさせてくれたなあ、と思ったのだった。



時の娘 ロマンティック時間SF傑作選 (創元SF文庫)

時の娘 ロマンティック時間SF傑作選 (創元SF文庫)