日中簡体字
2009年10月29日朝日新聞夕刊
検証 昭和報道140 バンドン会議・4 モモ色の旗
上記連載記事に、興味深い一節があった。
それは、1955年、周恩来がバンドン会議を契機に、
日本主席代表の郄碕達之助と初会談したおり、
「両国で漢字の略字(簡体字)を統一して、百年、千年先の
日中両民族の文化遺産として残しましょう」と提案した、とのことだった。
記事にはつづけて
その後、この問題は日中間で何度も話題になり、朝日の投稿欄でも
論争が盛んに展開された。実現は難しいとされるが、想像力を刺激するアイディアだ。
とのべ、次の話題に移る。
しかし、当時の偉い人らには、この問題をもう少し真剣に考えて欲しかったと
いまさらながら思う。
21世紀になっても、日本が、「助教授」という名称を「準教授」に変えたが、
どうせ変えるなら、中国に揃えて「副教授」にしてほしかった。