お気に入り短歌/季語とは

●この日付の朝日新聞朝刊「歌壇」より。なぜかねこ短歌が3首も。

・妻に詫び猫には媚びて生きていく私の中に私がいない(三郷市 木村さん)
永田和宏評:木村氏、素直に笑えて飄逸。】

→これが「上司に媚びて」ならもうやるせないが、「猫」にかわると笑いに変わる。
私も物知らずなので、家の人によく「そんなん、ねこでも知っとるわ」と切り捨てられる。ねこ以下の立場。


古書店の本と本の隙間から出入りをする一匹の猫(長崎市 牧野さん)

→外国には古くからねずみ取りのために図書館などでねこが飼われていて、いまでも立派に働くねこの記事をネットでよく見かけた。この古書店はそういう諸外国のものなのか、それとも長崎にそんな店があるのかな?


・草取りでゐのこづちだらけの我の横ゐのこづちだらけの猫通る(延岡市 片伯部さん)

→「ゐのこづち」とはなにか。私が記憶している服にくっつくやつは(「くっつき虫」とか呼んでたような)、いぼいぼのあるラグビー形のやつと、なんか三角形のやつ。名前からみて勝手に前者を想像している。

ねこは「ゐのこづち」をどうやって取るのか。脚とか鼻でとろうとするとまたそこにくっつくだろう。ねこの心境をおもんぱかるだけでイライラしてくるようだ。


●この日付の同紙夕刊文芸欄より「季語とは 熱い議論」
朝日カルチャーセンターで開かれた「朝日俳壇」選者による公開講座での議論。

「歳時記にある言葉だけが季語なのか」という質問に対し、大串さんが「必ずしもそうではない」と述べ、地元・佐賀の村祭り「浮立(ふりゅう)」を例に挙げ、「秋を感じさせる言葉だが、ホトトギス系では50年たっても認めてくれない」と話した。

浮立って秋祭りだったのか。「面浮立」とタダの「浮立」って違うのかな。大串章さんて佐賀の人だったんだ。歳時記って○○系とかいろいろあるんだ、と様々な思いが駆け巡った。