根本から考えるために

この日付の朝日新聞朝刊「論壇時評」(高橋源一郎)が挙げていたものでウェブ上で読めるもの。

●「震災で卒業式をできなかった学生への祝辞」
http://togetter.com/li/114133

・私が一番心に響いたのはこの一節です。
【「祝辞」17】「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。


立教大学学長の卒業式の祝辞
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/president/conferment2014/


・上記とは違うが、下記の
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/president/graduation2014/

学ぶという営みは、自分にとって未知のもの、異質なものを自分のなかに取り入れることによって自分を変化させていく行為、あるいは技術を学ぶ場合のように、今の自分ではできない体の動かし方に自分を合わせて行く行為です。

したがって、学ぶことができるためには自分とは異質のものを「受容」することができなければなりません。異物をそれが異物であるという理由で拒絶するならば、そこには学ぶという出来事は起こらないのです。<<
のくだりも印象に残った。

東京造形大学の入学式の祝辞
http://www.zokei.ac.jp/news/2013/001-1.html

・一般のよくある「大学で学ぶことは社会で役立たない」的ないいようとは全く逆の話。こういうこともあるのか、と目からうろこ。


●翁長知事が官房長官と会談したときの発言全文
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-241475-storytopic-3.html

・報道されているよりもっとたくさんの発言が書いてあった。なぜ「AでないならB」という二者択一にしばられるのかという素朴な疑問と、ある事象をみるときに、その経緯・歴史も含めて見ることの重要性を思う。


●西田亮介「『無音』の統一地方選
http://politas.jp/features/5/article/369


・上に挙げられていた当時の文部省が1948年から1953年まで用いていた教科書の『民主主義』(上下)を、高橋さんは実際に読んで感銘を受けたという。


憲法も、改憲・護憲を言う前にまず「知憲」、つまり憲法を知ろうという呼びかけがされている。投票も、低投票率を嘆く前に、その投票という行為が成り立たせる(こういう言い方が正しいかどうかは分からないが)「民主主義」を知るべきではないだろうか。