第2言語は「手話」/ハーバード/梅花茶楼/鼻白む
帰宅して梅花茶楼の桂花茶を飲む。いいかおり。
http://www.rakuten.co.jp/umehana/
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この日付の朝日新聞朝刊「「第2言語」は手話」に、手話を言語として教える大学が増えている、という記事があった。確かに、手話は言語という考えがある。中学生か高校かいつか忘れたが、仲良しグループ内で「先生や他の人に気づかれず会話をしよう」とか何かくだらないことで、一時期、手話がブームになって、50音や簡単な単語などをかじりかけたことがあり(詳細については全く覚えていない)、そのときに買った本で、このような考え方に出会った。
その本はすでに売ってしまったので手元にないが、手話を第1言語とする人は、手話だけでなく表情や身振りも総動員してコミュニケーションするため、「一般の日本人」よりも表情や身振りが豊かで、その様子は同じ民族とは思えないくらい異なる、そして言語が違うということは、当然文化も異なるのだ、みたいなことを書いてあったような気がする。
現在、まだ手元にある本「はじめての手話」を見てみると、その第1章の目次をいくつか取り出すだけで「手話=言語」という観点が見て取れる。
手話は言語である
手話は日本語を表示する記号ではない
手話はパントマイムやジェスチャーの寄せ集め?
言語とジェスチャーの決定的な違い
ろう者は独自の文化をもっている
手話は抽象的なことを表現しにくい?
などなど。
- 作者: 木村晴美,市田泰弘
- 出版社/メーカー: 日本文芸社
- 発売日: 1995/04
- メディア: 単行本
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のち、大学院で耳の聞こえない方の学習補助のため、ノートテイカーをやる機会があり、その時に私史上2回目の手話ブームが起こったが、その仕事が終わるとまた忘れてしまった。
ただ、大学のなかで手話がこのように認められてきたというのは、とても興味深いことだと思う。それは、ボランティアがしたい、とかいう具体的な理由でなくとも、ごく身近に生き生きと根付いている新たな言語、新たな文化の存在に改めて気づく、という意味で、とても意義深いことではないだろうか。そう、いちいち外国にいかなくても、異文化交流ができるということなのだ。
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この日付の朝日新聞夕刊「世界の中で成長したい/海外留学 3人が語る」という記事に、ハーバード大に入学した学生さんが先輩に言われた言葉が記されていた。
「睡眠、友達、成績のうち二つしか得られない」
どれを捨てるか、難しいところである。あるいは、1つしか得られないということもあり得るかも。
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●この日に学んだこと。
鼻白む=はなじろむ。「じらむ」ではない! ラジオの中でアシスタントが言い間違えて注意されていたが、私も間違って覚えていた。うっかり使わないよう気をつけねば。