『ねじまき少女』

だいぶん前に読み終わった本だが、さいしょ、なんか不思議な世界のなんか不思議な機械のねじを巻くことをなりわいとした女の子のなんかファンタジックな話かな、と思って読みはじめたら、いきなり南国のもわっとした湿度と強烈な果物の香りがおしよせてきて面食らった。


舞台はSFとしては意外に思えるタイのバンコクで、この本の前によんだSFがイギリスが舞台の『マインドスター・ライジング』だっただけに、よけい、そんな感じがした。


しかも、『ねじまき少女』の設定は未来ではあるけれど、科学技術がいちどものすごいダメージを受けたあとのことなので、いろいろと不便を被っている。でも、そのへんを、未来の進んだバイオテクノロジー&東南アジアの膨大な人力によって補おうとして、なんだかものすごいヘンテコな世界が形作られている。もうこの様々なギミックだけですごく笑えるのだ。


工場の動力はバイテクで異様にでかくした象だし、パソコンは足踏み式で、銃はするどいディスクをゼンマイで飛ばすことで人を切り、なかでももっとも可笑しかったのが人力で動かす(金持ち用の)エレベーター!! つりあった二つの箱の一方に、多くの人が乗り込むことでつるべ式に偉い人が乗った箱を上に上げ、そのあとみんなまた階段を駆け上って次の偉い人が乗り込むのを待機するのである(下りはこの逆)。よくこんなことを考えるもんだ・・・。


そしてSFにはつきもの?の人造人間もいる。表題の「ねじまき少女」がそれで、別にゼンマイが動力ではないのだけど動きがぎこちないからそう呼ばれる。日本製で、いかにも外人がみるニホンジン的なヘンな厳しい訓練をうけ、日本のエリートの所有物として知的な仕事についていたのに、バンコクに置きざりにされて悲惨な境遇に甘んじている。



彼女からある果物の秘密を聞き出そうとする外人と、その下で働く亡命中国人、彼らと虚々実々のかけひきをくりひろげる政治家や企業仲間、さらにタイ王室のもとで違法の摘発にいそしむ白シャツ隊のやたら熱血な隊長、別名「バンコクの虎」と、対照的に冷静で有能だけど影のある女性の部下、また、なぞの科学者などもからんできて、名前を覚えるのが苦手な私はそのへんは軽くスルーしながら読み進める。


やっぱ、南国ってなにかとのんびりしてるのか、上記の「偽?ハイテク」な品々もそうだけど、なんかなごむところが多い。特にえええ?と思ったのが白シャツ隊の隊長が非常に大変な目にあって大変なことになってしまうのだが、そのあともしれっと部下と一緒に居るところ。いかにもアジア的なこの展開に面食らいながらも、でも、そうなったあとの隊長と部下の2人のやりとりが、それ以前よりもとてもほほえましく感じられるのが不思議である。



そして人間達がいろいろな物語を繰り広げていても、けっきょくは自然の猛威になすすべはない。結局はすべて水が何もかもを押し流してしまう。まるでドリフのコントで最後はセットが大崩壊しててんやわんやで終わる、みたいな。


でも、それで膨大な犠牲がともないながらも、でもそこには小さいけれどいくつもの希望がみえる。自己保身ばかりに凝り固まっていた亡命中国人の、いまわのきわに選んだ選択。そして、苦しい過去を背負った白シャツ隊の女部下の、いまわの際に選んだ選択。彼女は、「エピローグ」にて、ねじまき娘の回想のなかで、みごと人々を避難誘導し多くの人命を助けた新しい「バンコクの虎」として語られ、読者は「ああ彼女は頑張ったんだな」と思わず懐かしんでしまう。当のねじまき少女は、洪水のあと、ぷかぷかと浮かんだ船でたくましく、のびのびと暮らしているようで、一面に水面が広がる光景とあいまって、なんとも開放感にあふれている。そして彼女はこの大洪水を生きのびたなぞの科学者と出会い、ここで未来への希望をつげられる。でも、ちょっと科学者の意図が分からず、もしかしてこれは次の大変なことの予兆なの?と読者を微妙に不安にさせながら、この小説は終わりを告げるのである。



ていうか、この本を読み終わったあと、本当にタイにものすごい大洪水が起こり、まさに小説に描かれたような世界が実際に目の前に繰り広げられて、私は唖然とした。テレビ画面一杯に広がる水、水、水、人間や人間の作ったモノをすべて無にする容赦ない自然の猛威、日本企業も含めてタイだけでなく世界的にも大きな影響を及ぼすほどの甚大な被害。しかし画面やネットで見る人々は、さまざまな工夫をこらしながら、たくましく生き抜いている。時には笑顔までこぼれている。どうしてあんな状況で負けないでいられるのだろう。そういう、はかりしれない底力と、清濁あわせのむ包容力と寛容さ、たくましさ、そしてどこかのどかさを持つ、この東南アジアを舞台にしたからこそ、このような奇想天外な小説が生まれたのかもしれないなとしみじみ思ったのだった。





ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)