たつろう


2011年8月28日(日)付朝日新聞朝刊 朝日求人欄
 仕事力 職人でいる覚悟 −山下達郎〔3〕



アルバムを出しはったからか、最近、山下達郎の話題がラジオで出ている。どっかの番組(武田和歌子のぴたっと!だったかな?)でAKB48について聞かれたたつろうが「僕の人生とはまったく関係のない存在だから」とかなんとか言うてたという言葉を聞いたりして、なんかすごいなあと思ってしまう。


ほんで、求人欄のこの連載にも数週間前からたつろうが登場。たとえば、この1週間前の2011年8月21日の本欄には、かいつまんでいうと以下のようなことが書いてあった。


・売れるまで妥協して、売れてから好きなことを、というのはうそ。自分の信じることを貫いてブレークスルーしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない。やりたくないことをやらされて売れたって意味無い。
・それしかできない、という状況に自分を追い詰める。たとえば、CMで食えると分かったら、苦しい時に音楽ではなくそちらに逃げてしまう。
・名が知られていることに何の意味があるのか。黙々と真面目に働いている市井の人が一番偉い。たとえば工場の人々の職人技は、別に有名になりたいとおもってやっているのではない。人の役に立つ技術を自分の能力の限り追い求めているだけ。それが仕事をする人間の本来の姿である。



才能溢れるにもかかわらず、厳しさを通り越してシニカルにすら感じてしまう、その冷徹な職人気質に、感動したり、自分に照らし合わせて恥ずかしくなったり、戦慄すら覚えたりした・・・。


ほんで、この日のたつろうの言葉。

「夢は必ずかなう」という言葉が独り歩きしている時代ですが、僕は「夢はかなわない確率のほうがずっと高い」と思う人間です。ですから、懸命に努力し、その結果夢が叶わなかった時にはどうするのか、それをも想定して仕事をするべきではないか。「夢」は魅力的で力があるけれど、あくまで結果であって、夢を最初から暴走させてはいけないのです。


そう、いわゆる「有名人」、作家・学者・俳優・女優・スポーツ選手から、はたまた高校球児まで、なんらかの形で不特定多数の人に自分の声を届けることができる人は、「夢は必ずかなう」と励ますのが定番ではないか。そういう人たちは、いわゆる「夢は必ずかなう」と念じて、努力して、そして「夢がかなった」人々である。


でも、その裏には大勢の「かなわなかった」人がいる。むしろ、社会の大半を構成しているのはそういう人たちではないだろうかと思ったりする。


夢を持つことはいい、夢がかなわなくても、それに向けて努力した経験はきっと無駄にはならないと思う。けど、たつろうがいうように「暴走」させ、振り回される人も少なくないだろう。前向きなことばだけじゃなくて、残酷だけど、でも現実をみすえた、こういう言葉も、必要とされているのではないかと。


と書きながらも、一方で、このたつろうの言葉を自分自身に役立てることは難しいことも改めて感じている私であった。