『ハンターズ・ラン』


↑には、「G.R.R.マーティ G.ドゾワ 他著」とあるが、作者の名前をぜんぶちゃんと書くと、「ジョージ・R.R.マーティン ガードナー・ドゾア ダニエル・エイブラハム」となる。



この本には、こにー・ウィルスの『航路』のように、途中で愕然とするところがある。航路は、主人公が★★でしまった! というものだが、この物語は、主人公が★★★★だった! という事実に、主人公と読者が175ページで知らされてしまうのだった。


でも、そこからも主人公ラモンはたくましい。特に、異星人マネックと地球人?との異文化接触の様子が非常におもしろい。たとえば、「笑い」という行為に対し、主人公は少ない語彙を駆使しながら数ページにわたって説明するが、けっきょく、異星人には分からない。しかも、主人公が下層民でかなりお下品な語彙が多いのに、異星人が上品で知的なもんだから、そのギャップもますます笑いを誘う。


一方で、地球語に翻訳できない「タテクレウデ」とか「アウブレ」といか不思議な響きをもつ言語がそのまま使われていておもしろい。たしかに、国が違ったら、かならずしも相当する言語が一対一で存在するとは限らないから。
(中国語だと、提醒(注意を促すとか注意を喚起するとか…) とか 隐患(まだ顕在化していない病気や危機などで、日本で使われている一番近い言葉は「ヒヤリハット」かな、とか思うけど)とか)


でも、一方でいたいけなこども(異星人にとっては「幼生」らしいが)に対する憐憫の情などは共通することが分かったり(このことは後への複線になる)、すこしばかりの共通点を見いだしてほっこりしたりする。


このやりとりがしばらく続けばいいのに、と思うが、やがて脱出に成功、相棒はもっとややこしい人物にかわる。この相棒は文字通りの「自分」なのだ。自分の性格を思い出しながら起こらせないようにしたり、自分の長所に自画自賛したり、自分の意外な一面を見せつけられて驚いたりしながら、お互いに腹の探り合いというか、マネックの時と違ったハラハラさがあり、目が離せない。しかし二人の旅は、意外な幕切れを迎える。


いろいろあって、元妻のエレナとのじんとするやりとりがあったりして、けっきょく彼は新天地へと一歩を踏み出し、未来に余韻を残すような非常に明るい読後感で、よかったな〜と思った。(やっぱり私は読後感の良いモノが好きなんです)。


ただし、いったん逃げ出した後、途中でちらりと出てくるマネックはどうなったんだろう、作者忘れてるやろと思いながらあとがきを見ると、冒頭に書いたように、これは3人による共著で、しかも20年間という時を隔てて完成されたものがたりだということを知ってびっくり!! たしかに、話や舞台がぽんぽん飛ぶけど、それがかえって物語に疾走感というかスピード感を与え、さすが「スリリングな冒険SF」と銘打たれただけある、と思ってたくらいなのに。


それに、回収されない複線が一つあったからといってどうだというのだ。一人が短期間で書いたのに、伏線を張りまくってほぼ回収されないままのディックの小説をたくさん読みまくった私にとって、3人が数十年かけて書き継いだこの物語がこんなにちゃんとまとまっているということが、ほんとうに奇跡的に感じられるのだ。