2011年1月9日付朝日新聞朝刊 あめはれくもり
 非常勤先生はお助けマン すずき けいこさん〔1〕


この記事の中に、このすずきさんが安定した職を捨てて非常勤になった経緯がかかれている。


  高校時代に一度は封印した絵描きの夢をかなえたい。
  でも美術教師として子どもにもかかわりたい。
  その二つを手に入れるには、自分の絵を描く時間ももてる非常勤しかない、と思った。


非常勤という立場は産休などの制度の保護を受けられない弱い存在で、
来年の雇用がどうなるかも分からない。でも、彼女はそれを承知で、
あえて、この道を選択したのだと書いてあった。


ある意味、私も似たようなものかもしれない。
いまの立場を嘆いてはいるが、私個人の場合は、それは積極的であれ消極的であれ
「自分自身の選択」の結果なのだ、という点では。


***


風邪がすこしよくなった。夜、北京の先生に電話した。


帰国した夜に先生に無事に帰国した旨電話したとき、
「翌日は仕事を休みなさい」とかなり強い調子でおっしゃった。
でも、私は「没問題」と答えた。
強がりではなく、本当にそこまでひどくもないと思ったのだ。


「わかった、そのかわり」先生は言った。
「日曜日、もう一度必ず電話をかけてきなさい」と。



しかし、結果的には先生の言われたように、翌日休んでしまった。
それどころか、結局、連続3日も仕事を休んでしまった。



そう伝えると、先生は「ほお!」とびっくりなさったが、
「でも、今はだいぶん回復した。声もいぜんよくなったでしょ?」というと、
笑ってらっしゃった。


そして、この日に劉天華生誕××周年(忘れた…)の大規模な演奏会が
北京飯店で開かれたとおっしゃった。
とにかく、ものすごく素晴らしかったそうである。