2010年4月3日朝日新聞朝刊「ラジオアングル」

ジャズピアニスト 板橋文夫さんのことば

「クラシックは、1音1音、作曲家が、
この音でなければならない音を必死に書き連ねている。
大変なのは、それを省略していいのかどうか判断ができるまで、
譜面通りのことができなければダメだから」

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クラッシックの名曲を即興演奏をまじえて
演奏するというコンサートについての記事でした。

このような姿勢に、すごく敬服する自分がいます。
1音1音が持つ重み、意味。
奏者はそれらに真摯に向き合い、音を大事に、丁寧に
いつくしむように奏していく。

あれ、と思うフレーズでも、実はその裏に深遠な意図が
隠れているのやもしれず。楽曲の背景、地域性、
楽家の一生にまでまるごと取り込んで、理解したいという気持ち。

ただ、一方で、それは中国のあり方とは
やや異なっているような気もしたり。

それは、ぱくりとかの低レベルの話じゃなくて、
うまくいえないけど、生かしていく、それを下敷きに
自分なりの新しいものを積み上げ(つけくわえ)
それを次の世代に受け継がせる、という営為というか…。

いぜん、朝日新聞の日曜版か土曜版の
山水画に関する巻頭特集で、まさに、説明下手な
私のもどかしい気持ちを、そのまま文章にしてくれたかのような
見事な記事をみかけたことがあるのです…。

それが見つかればよいのですが。
きっと、部屋のどこかにあるはずなのです。