日中まじり文

関西学院大学出版会の小冊子「理(コトワリ)」2016年46号巻頭エッセイ
金水敏(きんすい さとし)「奇妙な情熱−ピジンを記録する人々」


2つの言語が混じってしまってできた、正式な言語ではないものを「ピジン」というらしいことは何かで読んでしっていた。なんか東南アジアとか中南米とかよく覚えてないけどそのへんの現象みたいなぼんやりとしたイメージ。この文章ではさまざまな「ピジン」のうち、まず日本語と英語なまりの「横浜ピジン」を紹介していたが、その次にでてきたのが1920年前後の満州で蔓延していたという日中まぜこぜの「満州ピジン」で、がぜん興味が湧いてきて、続きを読んだ。

文中で紹介されていたのは、1926年に大連で刊行された中谷鹿二著『日支合弁語から正しき支那語へ』で、そこに紹介されていた一文は中国語部分がぜんぜん分からなかったけど、これでなんとなく通じていたんだと思うと驚愕する。

どうしても出典が見つからないのだが、そういえばなんかの本に、日本に長く暮らしている中国人同士が「见合(jiànhé)」という単語を使っていたという文があった。「见合」は中国語ではなく、「お見合い」のことである。「お見合い」の漢字部分を中国語読みして、そのまま「お見合い(する)」という意味で使っていたということだ。そういえば「中华料理(Zhōnghuáliàolǐ)」も通じることがあるらしい。これももちろん日本語の「中華料理(ちゅうかりょうり)」である。中国では「中国菜Zhōngguócài」って言うからなあ。