人の顔が覚えられない

この日付の朝日新聞土曜版be(青)の「はたらく気持ち」という連載記事に「人の顔が覚えられない」というケースが紹介されていた。そこには「相貌失認」=「顔の認識能力が著しく低い病気」について触れられていた。特徴としては、目・鼻・口といった個別の構成要素でなはなく、全体の位置関係の把握が苦手だという。


記事の主人公の彼女の実例でどきりとしたのは、普通の人が見たら「似てない」という人を、めがねという共通点のみで「似てる」としているケース。私も、テレビに出ている某と某が似てる、とよく思うのだが、家の人はあまり同意してくれたためしがない。「似てるの目だけやん」とか反論される。


また、高校のクラスメートの男の子を覚えていなかったりとか(他クラスの知人はその子のことを知っていたのに)、留学中、友達と買い物してたら誰かとすれちがって、友達が挨拶したので「知り合い?」と聞いたら、「え、知らないに? あなたと同じ8階に住んでいる留学生だよ(友達は5階に住んでた)」と言われたこともある。自分が、他人に無関心なのだろうか、と虚無的な思いに浸ったりもしたが、もしかして・・・・。


記事には、「頭部外傷後に起きやすい」ともある。彼女は頭を5針縫うケガをしたらしい。私は、記憶にはないが、子どもの頃、自転車の後部からまっさかさまに落ちて頭を打って、親が「死んだと思った」というエピソードを聞いたことがある。


その他、彼女がしていた、自分が忘れていたことを人に気づかれないための苦肉の策も、みな私に当てはまっている。ただ、自分が「相貌失認」ではないかと知った彼女がはじめた工夫−五感を駆使して相手を認識する手がかりをメモする」というのは、思いつかなかった。いや、メモをしてたこともあったのだが、見られそうになってマズイと思ったこともあったし、いつもメモを見返せる環境とは限らないと思って、やめたのだ。ただ、「五感を駆使して」っちゅうのは、なんかヒントになるかもしれない。