人間の可塑性
この日の報道ステーションのスポーツコーナーで
車いすテニスの方を取り上げたルポがあった。
それが、驚きの内容で、特殊なリハビリによって
脊髄損傷で下半身が麻痺していたのに、立てるまでに
回復した、というものだった。
これは、そのノウハウを外国(アメリカ?このへんはちゃんと見てなかった)で
マスターした方がいて、そのまま帰るつもりはなかったのに
その教室かジムに、わざわざ通う方がたくさんいたので、
それでは、と思い、帰国して日本の方々のために役立ちたい、ということだった。
車いすテニスの方はそこに通い、まず体の麻痺程度を徹底的に
マッピングし、どこにどれだけの感覚が残っているか細かく調べ、
これまで動かしていなかった下半身の筋肉をほぐし、
電気刺激などで感覚を呼び覚まし、
歩くための筋肉を特殊なやりかたで鍛えるなど
地道な努力を重ねていった。
そして、十数年ぶりに自力で立つことに成功したのだ!
ほんと、個人差はあるとはいえ、医学・科学の進歩と
人間の可塑性、可能性というものに感動した。
そして、ふだん無意識にやっている「歩く」という行為が
乳児のときにはいはいから立ち上がって以降、歩くための
いろいろな筋肉や感覚を何年もかかって獲得していったのだということを
改めて意識したのだった。
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可塑性、というものには、自分自身の体験でもそれを強く意識している。
ピアニストなどは、みな3歳とか5歳とか、そのへんからはじめている。
それが中学生からならいはじめた、というのなら、もうすでに
致命的な遅れ、という感覚があった。
同様に、中学生のとき、他の1年生より数ヶ月遅れてクラリネットを始めた私は
その数ヶ月の差を、もはや埋めようのないものだと感じていた。
しかし、20代も終わろうというころに新しい楽器に出会い、
ほぼ10年になるが、いまもまだ、これまで出来なかったことが
できるようになる、という喜びを感じることが出来る。
もちろん、こどもの進歩に比べて、おとなのお稽古は
あきれるほど上達が遅い。
しかし、上達の喜びはこどものころとすこしも変わらない。