惜しまれる季刊新聞−リトルヘブン
ときおり、朝刊と一緒に挟み込まれている様々なミニコミ誌。そのなかでも、わりと味わい深いなあと特に愛読していたのが、この「リトルヘブン」だった。
わたしの実際のふるさとは、都会ではないが、田舎でもない。田舎の中の県庁所在地で、わりとよくある住宅地みたいなところ、といったらいいだろうか。
しかし、このリトルヘブンで紹介されているのは、そういうところで暮らした記憶がないのに、胸を締め付けられるような、無性に懐かしさを感じる「ふるさと」であった。そこには自然があり、おとなは農作業に汗を流し、子どもはおとなを手伝ったり、野遊びを堪能したりする。ものすごく手間がかかる、地域の素材をいかした料理をつくり、地域の行事をおこない、そこで暮らし、死んでいく。まるで何百年も同じような営みをつづけてきたのだろうと、気が遠くなるような深い感慨を覚える。
いま田舎というと、限界集落というか、医者不足、高齢化、過疎など、マイナス面ばかりがとりあげられる。また、私がいくらそのような暮らしにぼんやりとした郷愁を覚えるにしても、実際、現地で生きていくノウハウも自信もない。にもかかわらず、このような光景が、このような暮らしが残っておいて欲しいと願うことを、それがただの自分勝手なエゴであろうと分かっていても、やめることができないのである。
そのリトルヘブンは、今回で最終号だそうである。バックナンバーはネットでも見られるようで、URLは載せないが、「リトルヘブン 小さな楽園」で検索すると出てくる。しかしもっと続けてほしかった。広告紙(山田養蜂場の広告紙みたい)という存在を越えて、いなかぐらしに対する尊敬と愛がこもった、読み応えのある、心がうるおうような機関誌だった。
もしよかったら、また再開して欲しい。