あのチリの鉱山事故で


2010年11月4日 朝日新聞夕刊 文化欄
終わりと始まり 池澤夏樹
 職業の誇り 「鉱夫」はどこに行ったか



あの名作『藪の中』を引用しないまでも、まったく同じモノをみていても
人はまったく違う印象・違う記憶をもったりする、ということが有ることくらい
頭では分かっている。



しかし、全世界が注目した救出劇のさなか、こんなことを考えていた人もいたんだ、と
改めて上記のことを実感したのが、池澤さんのこのエッセイ?だった。


(ちなみに、おなじ面に関川夏央さんの短文も載っているのだが、
どうしてもいしいひさいちの漫画の顔を思い浮かべてしまっていけない)






池澤さんは、あの報道の中で事故にあった人々が「作業員」と呼ばれることに違和感を感じたという。
で、スペイン圏・英語圏・フランス・ドイツの事情を調べると、みな「鉱山で働く人」という
意の単語を使っているという(よく調べたなあ…)。


さらに、漢字圏に手を伸ばし、台湾の新聞で「智利礦工受困69天」という単語を見つけ出す。
(「智利=チリ」なんて、ふつうの記事のなかに埋没しそうな言葉なのに、よく見つけたなあ…。
ちなみに矿工 kuànggōng)


で日本はというと、「鉱夫」「坑夫」と呼ばれていた、と。
池澤さんが「今これらの言葉はキーボードから入力しても変換さえされない」と書いているように、
たしかに私の使っているATOKで「こうふ」と打っても変換しない。
「たんこうふ」でもダメである。


そこから池澤さんはさらに考察をすすめ、小見出し?に書いているように
「職業の誇り」、なかでも第一次産業に携わる人々の誇りについて思いをいたすのだが、
しかし、あの報道をみて、こんなことを考えつくなんて、さすが作家さんの言語感覚というのは
なんとするどいものだろうと、なんとも浅い表現でしきりに感心してしまった私であった。