ジャック・ランスロの死

2009年4月11日付朝日新聞 惜別
 クラリネット奏者 ジャック・ランスロさん 一音一音磨き抜いた職人魂
 (Jacques Lancelot 2月7日死去(心不全)88歳 2月16日葬儀)


(前略)しかし、当代一流の名人の素顔は、いざ向き合うと、あまりにも素朴なものだった。照れ屋で不器用。「メートル(先生)」と呼ばれるのを嫌がる。レッスン中なのに自分の練習に夢中になってしまうなど、音楽のことしか頭にない風情。多くは語らず、自らの演奏と歌で、作品の本質に向かう道筋を生徒に示そうとした。


いかにも芸術家気質というか・・・。私は学生時代にクラリネットをやっていたが、あまり研究熱心ではなかったので、恥ずかしながらこの奏者を名前しか知らない。でも、この人の人となりの描写は、自分が知っているあの人、あの先生を彷彿とさせた。


実際、そういう気質の先生に振り回されたことはあるが、その思い出は(当時はかなり困りはてたはずなのに)なぜか、ほほえましいものとして、自分の中に残っている。それはたぶん、それ以上に、その先生なりの音楽への愛情や、人生への向き合い方や、その他日常でのふれあいの中に、愛すべきものを見いだすことができたからだろうと思う。


このランスロさんもとても愛され、親しまれたらしい。それは「野心をむきだしにせず、表現を繕わず。その職人魂は、楽器の改良や楽譜の校訂、教則本の編纂にまで及」び、「日本の数多くの音楽家を育てた」という愛情と情熱からだろうと。


ここまで読んで、はた、と気づいた。教則本か。もしかして、私がこの人の名前を知っているのは、高校の部室の棚にあった教則本がこの人のものだったからではないか、と。



青い本。もしかしたらこれかもしれない。いや、違うかもしれない。でも、コンクールやコンサートの楽曲のほかに、自由練習中に黙々とにエチュードをこなしていくこともあった。そのとき、もしかしたら、この本が私の傍らにあったのかもしれない。「オーケストラのトップ奏者」を育てたこの偉大なる音楽家が、田舎の高校生の基礎練習にひっそりとつきあってくれていたのかもしれない。


そう思うと、初めて写真で顔をみたこの人に対して、かぎりない親しみと、惜別の情がわいてきてたまらなかった。